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佐々木の球審に教わる事

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ロシアの進行が激しい「人はなぜ人を殺すか」「どっちが正義か?」とか言ってるが=理論的に説明ができない当たり前のことを、これを理論的に説明しようとしてる者がいる。

理論てなモノやまた技術ってなものはン減にとってほんのちょっとのもので、起きてることを説明することなど到底できない。

人間とは何かという事になるが、人間の一番大切なものは「徳」ですね「義徳というもので徳を正しい自然の姿で行う事」これがすべてのことで一番大切なもの。そしてなくてもいいがあった方が便利っていうものが「知識・技術」これはあれば通じやすいしわかりやすいが理屈・理論もこのものであってなくたっていいモノなんだ。

先日佐々木ロッテのパーフェクトピッチャーが白井球審に怒られていたが、これなんか典型的なものだ。プロには合わないんじゃないかなって思われるところだ。野球っていうのは審判がすべてであって、退場されなくて済んだわけだがこれはパーフェクトをやって人気があるんで注意にしただけ。もちろんアウトやセーフ、ストライクやボールは審判の判定によるもので絶対なんだ。これは野球をやるものは全てが知ってる基本痛の基本のルールであって、その態度がプロとして成り立つかどうかの瀬戸際のことであったわけだ。

今売り出し中の鈴木誠也はフォアボールの時やでっとボールの時でも審判の後ろを通って一塁へ行く。大谷翔平はあそこまでストライクを取られても文句ひとつ言わない。堂々多雨態度である。これがプロでありスターなんだ。

世の中は理屈で説明しようとするそしてしまいが法律にのっとっているかどうかとなる。塀の無効かこっちかという最低限の話だ。国会でもそんな話がずーっと続いて飽き飽きしてた。理屈で説明できないことはいくらだってあって人間が知ってることなんてほんのちょっとなのにいかにも知ったかぶってやるのが今はやりの専門家っていう変な人間。

人を殺すな。弱い者をいじめるな。遠くをおもんばかって今を遠慮する。奉仕する。ひとを敬する。清くある。明るく生きる。げんき。みな「徳」であって好きや嫌いなんて理屈じゃないわけで、すべてが喜怒哀楽の中にある。これが修行であるわけで朝飯を食って後片付けをしたかどうかのような修行である。そして学んで道を知る。みちをおさめることを「教」という。教えなくてはいけない。教わらなくてはいけない。「謙虚利中」である。

 

 

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