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日比谷で松本楼が燃えた日

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元財務官僚で内閣参与が「さざ波」「へでもない」との発言でやめた。やめようがどっちでもいい話だが、よくもこんな官僚を側近に置くもんだ。今の時代は戦争で攻められるわけでもないし気楽なもんだからこんな物でも参謀役に付くんでしょうね。歴史から見て古き時代ならもちろん今のような自民党では国が持たないがこんな参謀なんていたらみんなやられていたでしょうね。

さざ波という言葉で思い出されるのが、まだ若かりし頃「学に目覚める」って言ったころだったが、有楽町の商店街に京都のさざなみというファーマシーがあった。このころはアメリカナイズされていなかったのかDrgストアというものがなくヨーロッパ調のお客様一人ひとりに対応するファーマシーが多かった。この店の改装があって中央区を担当するものが総出でお手伝いに行った。

大人数だったので早々に終わって、外に出てみるとにぎやかなこと大変な騒動。銀座から大手町に抜ける道路は機動隊と群衆そしてヘルメットをかぶって火炎瓶を投げる連中とでごった返してる。とっても面白いので見てると機動隊に追っかけられた。後ろからサイリュウダンを打ってくる白い塩盛のような円形が道路に着弾すると瞬間に涙が出るという初めての経験。有楽町は袋小路みたいになってるところが多くてそこに追い詰められていった。左腕に何か感じるので見ると知らんおっさんがシャツを握って一生懸命走ってきている。こっち寅は思い切って引き離して逃げた仲間のうちで塀を乗り越えて足をくじいたものもいた。とんでもない戦争ごっこ。

結局囲まれた群衆は外に出れなくなって我々は関係ありませんということで体調らしき人の横を開けてもらってバリケードを抜けた。この日は日比谷公園の松本老が燃やされた。山手線は結局動かないで有楽町から品川まで歩いた。浜松町の芝側の交差点で車が積み上げられて大きな火が上がっていたのが記憶にある。

あの頃は政治も動かす国民の力があったが、今の時代はなんというかぼけた時代になったもんだ。

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