篤学が廃れ目に見えるものしか判断できない単純なリーダーたち
今はツイッターやSNSの時代で誰でも投稿をしている。いろんな人が意見を述べることは本当にいいことなんですが、
本当に学んだ人、知識や経験が大きく違うので人によってとらえ方が大きく違う。同じことにしても、共通の知識があっての話であればある程度通じますが、家族や親子にしてもなかなか通じないものです。
議員のボーナスを返上しろっていう人もあれば、「医者の頑張ってる人に返上しろっていえますか?だから政治家に返上しろっておかしいでしょう。」っていう意見もある。
このくらいの差があるわけだから、今の政権にしても隠す改ざんがあってそれでも逃げまくって説明は一切しない。そこで説明責任を果たしてますかって聞けば70から80%ができてないという。
わけもわからないわけであるが、それなのに政権の支持率は36%とか39%とかあるわけで、いかに人の意見なんて言うことはいい加減なモノなんですね。
それだけ今の社会が「嘘」「私」「放」「奢」が常にあってマヒしてるんでしょうね。
コロナを機会に心の学問を進めなくてはならない。物や金のマーケチング、化学など目に見える学問ばかりが優先させられて心の学問はどのくらい昔かいやいやそれよりも落ちてるんじゃないですかね。
今回分かったように給付金一つとっても遅い。何か金儲けしてるんじゃないかっていうような疑惑が出たりしてますが。
どんな施策にしてもどんな言葉や演説にしても、「心」がなければならない。これがなければ物事は早くならないし悪いことは当然起こる。
「省」って館長はつけているが本当にわかってつけてるんでしょうか。顧みる反省するっていうのと削るっていう字ですよね。これも少し学んでいればすぐわかることであるが、一向にこれを「言」として語る人もなく、知識もなければ心もないっていうところですね。結局のところ江戸の篤学が徐々にすたれて政府やリーダーたちにおいてはもう皆無となってしまったってとこですね。