自分を立てる。独立は自由。人に頼っているうちは子供
参院選挙の関係でろくな国会もやらない。下手をすると選挙に影響。なんでも選挙後に。
メディアは政府の顔色を伺って報道してる。まるでどっかの国と同じ。
それに習ってなのか一人当たりの生産性もかなり低い。
人頼りで自分が独立してない。だから国も当然独立していない。アメリカ頼り。
自分の自は自由の自。つまり自由ということはきちっと独立してること。分は「分かる」って言うことで自由の自分と公の自分があるって言うこと。他人と堺があるって言うことそこに礼というものがあって人間社会という紋が出来ている。
ところが都会の人間は自分の今年か考えない。選挙で地方から出てる奴らも東京育ち。「ようは、人の気持ちを考えない」大体人の際が礼と言うのに挨拶という礼も無いんだから。
地方はそういったものがあった。その子供達が経済復興と言う名の下に次男三男四男みんな東京へ東京へそして多摩ニュータウンを作り高島平を作り一杯ニュータウンを作った。
核家族だから一杯家具などが売れる経済は成長した。それが地方を忘れ「他人のことを思いやる」ことのない人間が形成された。
これが孔子が言う日本でも数々の先生方がいう「孝道」を壊してしまって日本民族の大切にしてきたものをずたずたにしてしまった。それがいまのすがた。
だから独立はしていないところに持ってきて生産性が少ない時間で働くしかない社員を作り上げ人間の魅力の自分の時間を少なくしてしまって人間個人の成長を止めた。
そこで出てきたのが利権。
大体が辺野古にしてもどっちがお願いしてんだ。利権だろ。
官僚やアメリカの出先のようなメディアが辺野古を推してるわけで政治家もはっきりしない利権でしょうね。
こんな世の中にしてしまったのは利権の連中がカネにしがみつき自分だけよくして他人は同でも言いという考え。特に今までの日本民族に無かった考え。
かんな連中にだまし、偽り、平気で放ち、生前と恥をさらす虫けらどもに心を売った状態。
人間は明るい。親切。清い。元気。これが徳であってこれが無いのは人間ではない。禽獣との違いである。その区別がつかないものが世の中多くなった。
選挙でもそうだが「ダレのため?」ってのが必要。何でも「ダレの為?」とつぶやいてみたほうが良い。そして「なぜ?」と考えるここから哲学が出てくる。
学ばないといけないってなる。
今度の選挙は自分で考えて投票をしてみたらいかがかな。