淡然。特に得意の時は
昔は相撲が大好きで、野球とともによく見ていました。今は白鵬が強くて45回目の優勝とか。
あまり興味がなくなってきたのはこの白鵬のせいか、またその前の名前を忘れてがモンゴルの横綱がきらいだった。
大谷がオールスターで活躍していたが、イチローにしても立派で大好きなのは、ホームランを打ってもガッツポーズを高々とやらない。特にイチローは無表情で過ごしてベース上に淡然と立つ姿が美しい。
白鵬は土俵上でガッツポーズをとる。ばかばかしくて見る気もしない。横綱が勝つのは当たり前であって、ガッツポーズをとるなんてあさましい態度には壁壁する。見るに及ばん。
人生をいかに生きるかという修行もなしにやってきた人間はそんなもんでしょうね。何回優勝したかとか何連勝したかとかそういったことが新聞やテレビではよくつかわれる。大鵬を抜いたとか新記録とか、そんなものは相手が違うし強いものがいなければいくらでもできるわけで、ましてやガッツポーズをするなんてばかばかしい限り。
安岡正篤先生の書に「六然(りくぜん)」というものの解説がある。
自処超然、処人藹前、有事斬然、無事澄然、得意淡然、失意泰然とある崔後渠という明の時代の人物の言葉。
これらはそうそう簡単にできるものではなくて、一つでもできるように若いころから毎日のように口にしてやってきた。がなかなかできないもんだ。
こな「得意淡然」ですが、ホームランを打った時やうまく勝ったときなどに、得意にならずかといって慇懃にならず平然と淡々としておれということですが。君子の交わりは淡にして水の如しというように淡というのはひじょうにたいせつなことばです。辛くもなく甘くもなく酸っぱくもなく淡ということ。バランスがとれていた片方に偏していない偏らない。のが淡。
こういったことができて人格というものが出来上がっていくわけで、ただ記録がいいとか新記録を出したとか勝ったとかいうだけでなく、「淡然」とした人格をもってやる事がスポーツでも政治でも科学技術でもいえること。
このコロナで苦しんでる中でオリンピックをやるわけだが、少しでもそういった人格が現れるような姿を見いだせれば幸いと思う。金が幾つとか金がいくらとかもういい加減にしてほしいね。教養のない低レベルの話は子供たちや若い者の教育に大変響く。メディアは気を使ってしゃべる事。