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人間は人格形成のために生きる

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人間は何を目指しているのか?それは当然ですが自己達成というものです。そうはいってもよくの大木人間は金持ち、地位が高いとかそっとのほうへ行ってしまって、社長になったとか首相になったとか、大臣になったとかで成功したって勘違いするものです。こんなに地位が上がって昔でいえば故郷に錦を飾るってもんでしょうがこんなものは人間としたら大したもんでも何でもない。簡単に言えば、死んじゃったら終わり。会社をやめたら終わり。それを勘違いしてる池袋のとんでもない爺さんとか首相を辞めて勘違いのまま生きてる議員。「痴」そのもの。自己達成でもしてりゃあみる目もあるものを。

陰隲録という文献がある。これは人間が進む道をわかりやすく書いたもので、非常に参考になる書です。最後の章は積善という句段になってますが、自分も一生懸命生きてるんだけれどもなかなか善ばかりの行動や言ではない。やはり間違いも起こすその時は全をしなければいけない。誰でもその善が悪よりも多ければよいのであって、善を積むことが大切。俺は悪なんかやってないよって思ってるだろうが、この前の政府の飲食店に対する圧力は悪そのもの。しかし政府や担当大臣は良かれとやってる。これはその地位における能力の欠如だから仕方なく起きるもの。だから減税をやるとか積善を積んでいくことが大事。二重にダブったが積善は大切な自己達成になる。

西村大臣のような人間は現代社会の象徴なようなもんでよくおる。へ理屈を並べ冗舌で軽い言葉、自分をよくしようと勝手な意見。こんなものばかり。この人間は東大でのエリートと言われてるが。

人間の表に出てる理屈を言うとか自分をよく見せるとか東大とか外に出てるものは「文」と言って飾り。着るものや態度は飾り。ーーーーー今の人間を育てる教育はこの外に向けたものばかりアメリカナイズされた自己の主張。こういったものに偏ってきた表れであって、人間としたら偏であり偏った人間となって全体のバランスがない。

そうだったら何をすればいいか?
それは、素質内質を高めればいい。内側にあるものを「質」というがこれを「省」の字のごとく繰り返し「反省」そして「省けずる」を行って心を高める。大蔵省とか財務省という省はこの意味であって、施策に反省をして、それだけではよくならないからその余分なものを削る省く。これで作られているわけで政治家は大臣はこれがなくては大臣ではないわけで、外側ばかりよく見せていても何の進歩もないわけです。論語に日々三省すとあります論語の頭に之がある意味ってすごいですね。

この表の部分の才覚やら言やら行動やらを知識・技術と言わけでこれは人間でいえば「主力ではない付属的要素」です。裏の部分の「省」とか質のところは「徳」と言ってこの徳を道を外さないように「義」正しい法則に従って行動することが「人格」を作ることになるわけです。この徳は積善ですね。積善の家系には慶が宿るといわれます。

教育はいかにこの心の部分が大切であるかわかりますね。

心や徳義がおざなりになって知識・技術ばかりが優先された教育を続ければ「泥棒や詐欺師」を要請してることになります。人間は心や得を持ったものであれば知識技術が少しぐらい落ちていても別に構いません。西郷隆盛は地動説や相対性理論とか本当にわかっていたでしょうかそんなものはないが「愛敬」を唱え人類を愛して祖先を敬って連続「繋がり」を大切にしました法則にあった行動をやっていたわけです。

今あまりにもテレビで解説してる人間のだらしなさが目立つ。政治家だからしょうがないん部分もあるんですとか言ってみたり少々嘘はしょうがないんですねとか言ってみたりめちゃくちゃ「政治家だから之はいかんこれはいいんだ」ってことを言わなければいかんわけでとにかくわかっていない。勉強が足りん。

 

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