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真のリーダーに学ぶ

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コロナが蔓延して手がつかない状態になって、何とかなるだろうなんて思ってるのが今の政治家。今日はパラリンピックが無観客になったと4者会談で決まったと小池が会見している。それも席をしながらいかにも私は病気をついてやっていますってな調子。この人は人物でもなければリーダーでもない。責任を取らない権欲者。j気分に従わないものは徹底的にやっつけるってなもんで、つまらん「小人」ていうところ。とても仕事ができる部類ではない。

今の政治家の責任を取らない人間安部や菅や麻生やらの部類。要するに腹をくくって仕事ができん奴ら。「腹をくくるにはそれなりのものがいる」それがない。からくくれない。だから「責任」が取れない。コロナが多くなって国民が苦しんでることに菅にしても大臣たちは「責任」を取らなくてはならん。腹をくくるほど真剣に働かないから「責任はとれないんだろうね。

民間のトヨタをはじめリーダーはスポンサーという立場にありながら、TVコマーシャルを中止して責任を取った立派である。やはり民間で通用しないから政治をやってるんでしょうねん。

リーダーの第一等は、、、、、「寛厚深沈」遠識兼照で福を無形になし、禍を未熟に消し、智名勇功なくして、天下陰に其の賜を受く。。。と呻吟語にある。

この中に一つでも当てはまるものがあるんでしょうか。度量が広くて落ち着きがあって堂々としており、遠く遠大な広い見識を持ち、あらゆるものに照らし合わせてみて、その中で福と禍を見分け福を形無きにつくり、禍をいまだ現れないうちに未然に防ぎ消してしまう。別段頭がいいというように見えるわけでも評判でもなく、勇気ある手柄でもなく、あるのやらないのやらわからないような存在であって、でも民衆からは知らず知らずうちにその賜を受ける。

これは歴史からも聖賢中の聖賢の人物像ですが子言った修行をして初めて統率っていうものがある。ここまで行くリーダーはまずめったにいないだろうが少しでも近づくような努力が欲しい。権力を行使する人間はそれが必要ということで気楽なもんじゃないっていうこともっと真剣に必死になって仕事に取り組まなければならない。「あんたにゃ愛があるんか?敬があるんか?」

こんな見識すらもないような小池は子供をパラリンピックに観戦させて多様性を学ばせるということを言っている。いかにも教育のようなことを言ってるが、本当にバカげてるということが気が付かない。こんな感染がひどいときにパラをやって観戦とはしゃれにもならん。

この呻吟語の第二等は「豪放磊落」です。

そして第三等は「聡明才覚」です。今の世の中は東大をはじめとするエリート大学を尊重する偏重にあって記憶力が高い頭がいいそれが人格もいいなんて誤解された教育をやっている。最後の聡明才覚ってなものが最高の人間の第一等であるなんて勘違いをして、徳がない知識人という詐欺・泥棒を作ってるわけだ。

リーダーに人格がなければ人民は「敬」を持たない。要は順番やつながりの重要性。いかに「断」がいけないことか人間が一番やってはいけないことは断であることをわかっていない。

つまらんリーダーが何回も何年も続けば当然国民は間違っていくし、その偏重は国も必ず民族の崩壊を起こします。現実今進んでるからこわい。

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