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愛と敬。先祖を参る。

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今年はお墓参りができない方が多い事でしょう。

お盆といえばお墓参りですが自分もお墓参りはやめました。こんな時期に参っても喜ばれないでしょう。

今お墓がなくなっていくようですが、日本の忌々しき時に来ていますね。先祖を供養するということはご先祖のつながりを示すものであって家族はもちろんのこと社会生活やもっと大きく言えば市であったり、県であったり、国の基本的なつながりの本をなすものです。

つながりということは人間にとって一番大切なもので、戦後のアメリカの介入があってどこの家にも神がまつられ仏壇があり先祖を常に供養していました。こういった先祖であったり神をなくす教育をアメリカは行って日本の個人の強さを引き裂いてきました。

今のアメリカの状況を見てもそうですがトランプによってそれが端的に表れ国が割れてつながりがなくなった社会にどんどんなってきています。

その点、東洋には孝道というものがあって先祖家庭子供孫とつながりが大切と説いた教本があり、滋賀の聖賢中江藤樹先生の教えが一斎先生や南洲にまで代表されるように伝わってる「愛と敬」ですね。特に敬するということは自分が成長していく一番大切なモノであり愛とともに非常に大切なものですね。

「参る」という言葉は相手を尊敬しておもんばかって自分が敬虔となって自分に反えり、「省」することによって向上していくものです。

彼女に参った。。。。。ってことを言いましたが今はあまり使わんようだ。参ったというのは柔道や剣道でもそうだが相手に負けた時に使います。それだけ相手を認め自身が成長する心を表しています。彼女に参ったということは彼女が好きでたまらない表現ですね。そこには彼女に尊敬する心があっての愛なのです。お互い愛と敬がああれば長続きする付き合いができます。

また子供は愛を母親に感じ、敬を父親に感じます。父親の靴を履いたろ帽子をかぶったりする行動が敬を感じてる行動と言われてます。

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