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之を懼れせしめてもってその特(独)を験す

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コロナウイルスの恐怖の中で何とか金儲けを考えてるわけだが、自然の猛威というのには人間は勝てない。

登用は自然の中に人間は共存するって考えるが、西洋は自然を征服するという。大きな違いがある。

天・自然は人間に心を与えた。その心は天・自然の心と同一になる心を求められその心を持つ努力を図った聖人が国を治めれば「天人同一」となって宇宙の摂理と自然の調和がうまくいく。

ところが今の世界のように自分勝手で利益が自分にだけ向けばいいと思ってるような連中が支配し続ければ、天・自然の心とは全くかけ離れたこととなり、天・自然の怒りは治まらない。

これが災害であったり今回やよく騒がれるウイルスなどである。民族が滅びてきた歴史はだれもが知るところですが、医学が発達して自然の猛威のウイルスに勝ったとしても、必ずもっと大きな協力のウイルスは必ず出てこよう。天・自然とはそういうもので、無学のものが上に立つということは、人類や民族を亡ぼすことになることを思い知らなければならない。

よく移植立って礼節を知るっていうが、人間は欲望が強すぎる。いくら足りてもまだ足りぬという。要するに「節」がないからだ。

徳川家康が徳や道をやくざにまで浸透させたように、偉大なトップというものは後世にの民族にまで残す。これが一斎先生の言う「老いて学べば死して朽ちず」だ。

あの伊達政宗にしても家康と同じような家訓を残してる。基本は「足るを知る」=節を持てだ。そして謙虚、遠慮です。あの武田信玄も「遠慮とは遠くをおもんばかって今のことを対処することである」っている。

いかに東洋の人間学や帝王学が大切かですね。

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