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親は子に学習を、責任を体で教える。

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今日は雨だがしとしとふっていて、やみそうにやまない。

今年も残り少なくなってきたが、はっきりしないきょうのようなてんきだ。

人間は生きていく上に必要なものがあるわけで、それをなくしてしまったら人間ではないというものをいくつもなくしてて来た最近のにっぽん。

さくらの見る会がでたらめの政府の答弁で日本がめちゃくちゃになった。こんなものは安部が首相になった時からわかっていたこと。ここにきてはっきり出ただけ。

もっと政権が続けばもっとはっきり出るだけだ。人はわかるまで落ちなければ判断できないようだ。シンギラーポイント(沸騰点)いうものがあるがとうに過ぎている。夜間でいえばお湯が沸騰したとき、それをとうに過ぎているわけでどんどんなくなっていってる状態。そろそろいくら感じない人も気づくころと思うが、もう直にやかんはお湯がなくなって割れる。

消費税が上がって二か月がたつもう三か月が終わるわけだが、外食産業の落ち込みは激しい。今後もっと落ち込んでいくんでしょうね。

しかしJCBの対応の悪さ今になって許可をしますとか封筒が届く。あほじゃにのこんな日本にいつなったのか、JCBに届けを出したのが遅れたのならまだしも、ほかのカード類と同時に出してもう最初からやってるにもかかわらず、今の時期まで連絡を取れば無反応でやる気があるのかないのかないんでしょうが、あきれたもんだね。お客さんもいい迷惑だね。採算の請求に説明もなくわからないだけでここまでかかった。

安部などの説明責任があれだけ野放図でいい加減な腐った返答であれば民間なんか当たり前ってことですね。

現代社会は、東京など大都市と地方に分かれていて特に東京中心であって地方は放りすてられている。小泉のころの竹中とやっていたあの政権から自己責任だとか勝ち組とか負け組とかわけわからん事を言い出して、今度の安倍政権までめちゃくちゃな日本にしてしまった。この二人は自民党と言いながらリベラルのようなことを言って国民をだましてやってきた。とにかく騙し。

こういう腐った朽ちた心は都会から生まれるもの。

今回の農林省の高級国民が子供を殺した事件。裁判があったが、判決は専門家に任すが人間としてどうかということが非常に時大切なことであって、親としての責任を全く感じられない。人間は、社会にトビ立てられるように子供を育てるわけだが、「学習」学ぶことは羽をはばたく練習をする白(鳥の象形文字)。人間も同じであって親が世の中に飛び立つ練習をさせるそれは山本五十六も言ってるやって見せ、やらせて見せ、ほめて見せ。こんな簡単なもんじゃないが、こどもは、母親を「愛」父親を「敬」としてみている。物が散らかってるから方つけろとかグダグダいうだけではない。自分が行動で示すこと、この行動は他人の目を気にしてるんじゃなく子供と向き合って必死に生きることを教えること、これができないと子供は腐っていく。都会派特に腐る。

田舎は土があってしぜんだ。サルもおりいのしし、クマ、蛇ハチなどあらゆるものがいる。自然と親は身の守り方を行動で教えており、はちのよけかたや蛇の見方や危険なものを身をもって教えている。子供はマムシにやられたりはちにやられたり、山に行ってもクマやイノシシに襲われたりしない。これは親が教育をしているわけですね。

都会はサルが出たくらいで蜂の巣を突っついたような騒ぎ方、雪がちょっと降ったら転んだのへったくれを言っている。雪国は一日ばかりではない毎日がその状態で吹雪なんかボンネットさえ見えない中を走るわけだ。

サッシやコンクリートで囲まれ、虫が出ただけでクマでも出たかのようなバカ騒ぎ。大人も子供もこんな状態で無菌状態で育つ。そして理屈ばかり先行して行動が育たない。で医事課を見ればわかる。選挙だけ地方で桜でも招待しておいて都会で子供も育てその後釜に世襲制で議員にする誰のおやじでだれにはおせわになって、こんなんで政治をやってるから腐る。朽ちてくるわけだ。はやくからくちるのを「若朽」というが。小泉なんかそのいい例だね。都会派とにかく傷むね。

人間が一番いるものは「愛と敬」であって。親が常にそれができてるか緊張感が必要。そうでないと他人が迷惑する。社会が迷惑する。

日本の田舎は親から子供が起こられて田んぼに立たされていると、親は忙しさで忘れてしまったいても近所のおばさんやおじさんが声をかけてくれる。夕日が沈むころは赤とんぼが飛んで家にはかまどのけむりがたっている。障子に人影が移るころにはみんなで食卓を囲んでいた。

いなかを復活させないと日本の美しさはなくなってしまう。人が修める第一義は「徳」であり「知・技術」は二の次であるわけで、それを達成するために生きてるわけだ。金とか経済じゃないっていうことがわからなくてはいけない。

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