新元号
新元号が話題になってるが、こんなものは時間がたてば何にもないことですが
政府はやたらと騒ぎ立てる。全く興味がない。
政府がやらなくてはいけないことは
国民が穏やかで安心して仲良く暮らしていける国を作ることであって、
平成のように墨で書いて官房長官が発表してといった具合よしゃぁ良いのに首相が意義について説明するというばかばかしさ。
ここまで調子の外れて首相もいないね。大して字も読めず人間学も無く、人の器用なんか調子はずれで全く信用の置けないものが調子に乗ってるんですな。
どこかの会社が「安久」って言う元号を書いてしまってネットで話題になってるとか、ばかもはなはだしい。間違っているといっても忖度はなはだしい。
今の社会は子供を虐待したり、親子での事件が非常に多い。昭和は戦争が多くて、何とか平和にみんな平らかなる心でということで平成でしたが、
健保改正が出来ないと見るなり戦争に借り出す法律を作ったり、秘密保護法や共謀罪というような戦時中の法律を作った今の政府。
首相が隠蔽をしたり国会で答弁をはぐらかしたり、歴史にお見てもありえない首相が長く続き官僚が堕落してしまいめちゃくちゃな国になってしまった、それがもっと下に波及していき
公務員の堕落がニュースになる。これなんかは貞観政要に徹底して書かれている。また佐藤一斉先生の重臣の心得なんかにも一番のこととして書かれている。
今度の年号について全く興味も無いが、しいて言えば
親子が仲良く父親は敬され、母親は愛の対象となって子供がすくすく育っていく社会。
この孝道が人間関係の全ての基本であって中江藤樹先生や西郷隆盛が敬愛を大切の語っていますね。
社会に出て人間関係がうまくいかなかってりするのはこの行動を学んでいないでただ愛さえあればというような戦後教育の汚点がだめにしてますね。
人間は大志を抱けといいます。敬する人がいる。私淑する方がいる。そこに敬があって尊敬が出てくるわけですが、そこに恥が生まれる。
やってはいけないこと、今やらなくてはいけないこと、そして自由の自分、この自分の分は「際」であって公共の自分と自由の自分が有るこの堺を礼というわけ。
せめて元号は孝に敬とか尊とかつけて社会を元に戻して生きたいものだね。