参ったって武士道や柔道でも言う「敬」ですね
天神様に週の初めには必ずお参りをする。
参道を通って手を清めおまいりさせてもらってる。
この参るは日本人として非常に良い言葉であって大切なものである。
彼女に参ったというのは彼女に惚れたということであって「惚れるというような漢字で表してるぼけるような、すぐ変わるというような」意味と違ってまいったっていうには彼女に愛と「敬」がある。
敬ということは尊き人高き人に憧れ近づこうとして、自分を省みて恥じる。
これが「参るって」いうことですね。
西郷隆盛が「愛と敬」、佐藤一斎先生や中江藤樹先生は特にこの愛と敬を言っていますね。
夫婦にしてもお互いに尊敬しあうということ、特に理解しあうことが大切なわけでそれが出来ないと悲しい別れとなるわけでその悲しみは特に子供がいればもっと深い悲しみになる。
子供は父親に「敬」そして母親に「愛」を感じますね。これがそろって子供は敬と愛をはぐくんで育ちますね。今社会が子育てをするってなことを言ってるものがいるが、家庭がしっかりあってこそ立派な人間が育つわけで他人が育てるわけではない。そういった自覚があって子供を持ち育てていく「孝道」があるわけですね。
道徳は親子関係から始まる。だから親は子供の教育は道徳につきる。やがて小学や中学にいたってその結果がはっきり出てきます。これが教育ですね。
天の命ずるところ性なり、性の率いるところ道という、道を修めることを教という。って中庸にありますね。
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