窮して困しまず。学問をもって知を極めなくてはならない
この時代は学問ができてないんで、やたらと困窮してその場しのぎ、それすらも手遅れとなってしまう。学び方が悪い。
学校へ行く塾へ行く。これはいいところへ就職するために行くってのが今の奴らの考えであって、真備を学問ということでやってるのはほとんど見ない。
孔子は15にして額に目覚めるといっているように本当の学問に目覚めて取り組んでこそ人格が磨かれていくんですが、それがない。所詮戦争で負けて反省もなくただアメリカのいわれに従っていい就職口を見つければそれで一生つつがなく終えるってなものがいっぱいいる。いい就職はまずいい学校を出て見つけるというのが今の常。しかしこんなことは明治の富国強兵と同じで何も進歩してない今の親がただ学んでないんで、そのままやってるだけ。情けないね。
学問とは「窮して困しまず、憂いて意衰えず、禍福終始を知って惑わざるがためなり」と荀子がいってるように、本当の学問とは就職をするため金儲けをするためではなく、窮したときに苦しまないということ。そのためにやってるわけで一生が学ぶ学問をしなければならない。今の政治家を見てると今度のコロナにしたら、窮してきたらただのたうち回るだけでそれよりも悪くなってしまうような賭けに出てみたり国民を至当な生活に導くどころかてめぇがよけりゃそれでいいってな調子でバカが多すぎ。要するに学問が足りないわけで、ただ大学をエジプトで出たとか学歴なんかどうでもいいんだ。荀子の言う学問をやったかどうかなんだ。「痴」っていう字は知識があるようだが学校へ行ってるうちだけ知識を積んできたが、卒業したらやらなくなってしまったり、中庸というものがなくバランスが取れず偏った知識を「痴」というだからこれを馬鹿と読むバカは死んでも治らんていうのはこのことですね。
荀子の言う禍福というものの終始というのはちょっとばかりの学問の修行なんかじゃ見分けがつかない難しい宇宙自然の神のみが知るようなものだからよっぽどがくもんをつまなければならない。