本当のグローバルと「つまらん・情けない開会式」
オリンピックの開会式をやっている。別にこの東京でやっていようがニューヨークでやっていようがどうでもいい。こんな開会式が「子どもの未来に希望を与えるものなのか、これが世界の英知と団結」のオリンピックの始まりか?
内容の情けなさが悲しい。いつからこの国はよその国に特に英語圏にこびへつらうようになったのか。テレビ朝日などはアメリカの支局状態であって日本独自の放送局ではない。それに準じたように各社の外国の特にアメリカに媚びへつらった内容が多い。
日本のバカらしさは、英語とか文化がヨーロッパやアメリカが一番ていうのが抜けないで明治のコンプレックスが続いてる。こんな国がオリンピックをやるってことがおかしい。「グローバル」という言葉が他国のものを理解するというものがあるが、もっと大切なものはその国の歴史文化が大切であってそれをお互いに認め合ってこそがグロバルというもんだ。
ここへきてバカな知事が出てきてコロナ対策にしてもごまかしのために使う英語がひどい。小池は何においても英語を使ってごまかしに走る。そして日本語を本当にやってないから素晴しい日本語が使えない痴(ばか)である。今の日本人は「知」が優先されこれを第一として上級国民の層を作り上げその家計の維持に毎日努力をしてるわけであって、本来の国の文化というものなんかとても大切にしてるようなもんじゃない。国語の哲学自体も言葉の哲学自体も学んでない人間がつまらん英語を使ってそれも単語のみ使うケースが多い。
人間は「徳性」が大切であって知なんてものはなくたっていいものなんだ。だから腹が太い腹の座った「俺が責任を取る」という人間が出てこない「知」ばかりだからへ理屈を言ったり「俺は知らんかった」「要するに責任は俺じゃないってこと言ってる。今回の武藤事務総長ってそればっかりじゃねえぇか。これは首相や大臣に至ってもそうで、もともとできないものがやるから責任問題になるわけでできるやつがやったらそうそうせきにとれっていわりゃあしねぇ。
権力があったり、腕力があったり、体力が強かったり才能があったりするものが「弱かったり、そこまでの能力がなかったり玉単失敗してしまったり、災害や危機にみまわれたり」弱い者に対して優しさを持つことが大切。これがオリンピックの一番の目的であるわけだが、これが最もできてない日本政府が今ここにオリンピックを開催してることに驚く。国民が本当にオリンピックをいらんって言ってるのは何かよく考えろ。と言ってるんじゃないか。