吉川英治「沛然」という言葉
カンカン照りのひもありゃ、集中豪雨の時もあって、川はあふれ道路に浸水。
山の手入れが怠り、川の砂防ができず。田んぼを遊休地としてきたつけが回ってきていること。山に降った雨は一気に川まで下り整理されてない気の葛谷ら大木を一気に川に流し川の両側や川底が整理整頓されてないがためにたまってダムとなりまた一気に多くの水を流す。これがゲリラ豪雨というやつですね。これは休耕田にして言った施策や木材の外注を増やした施策などから山や川に投入する人材や金がなく日本をここまでだめにしてきた過去の政治の歴史である。
何かやっても総括や反省をしない。責任を取らない。そして今の政治はその場しのぎ。その場をしのげばまだいいが終わってしまって指摘を受けて逃げる。そしてうそをつく。そして後で誤ればその時をしのげるという情けない人間が政治に携わっており歴史から見ても最低の政治がまかり通ってる。
人物とは、、、、知識と徳が重なって高く深く広がって多くの学問と自然の動きの大徳と陰隲を理解して自然の中に生かされているという学問が体に染みついたものを言う。今のリーダーはどこを見てもわずかな才覚と偏見の知識とバランスのない感性、教養のかけらもないものが親の利権を継いで派閥だかなんだかたまりを作って烏合の衆団を作り、まだみんなで話し合って決めればいいがそのトップがやたら目ったら決めていく。民主主義なんてものの理解はなく乏しく全体主義の独裁のような政治を行っている。
これは大学がやたら出来上がりきょうじゅとなる「人材」がなく急遽募集した人間やラ今はやりのような特別教授元官僚とかがやっているわけで、ろくな先生がいないそこへもって奇のようきのよう灘から東大のように記憶力だけでハクシキの人間が出来上がる「人物」ではないため忖度や寧など手をこすりながら出世するものができるからこの間のようなことが起きる。それも「人物」ではないから席にもとらなければ反省もなく「自得」ができていない「省」なんてなんでついてるかも知らないでしょうね。
初めに書いた豪雨のことをゲリラ豪雨というがそれにしても日本人を国民をば敢為した言葉だね。自然界の大徳である雨に対してゲリラという。バカもいい加減にしないとあかん。わかりやすいって言ってるんだろうが国民を馬鹿にしてますね。小学生でもないし。日本人は素晴らしい言葉をいっぱい作ってきてそれによって、「遠慮や」「仁義」「挨拶」「元気」「心中」など難しい言葉を一杯平常の中に使ってきた。
吉川英治は難しい言葉が非常に多いがすごく広大なスケールで歴史書を書いた人ですね。この方が太平記の中で「沛然」とい言葉を使ったところがある。急に降ってきた激しい雨っていうことですが、子言った言葉が日本人は使えないのか、先ほど書いたように大学はたくさんあるがろくに発することもできないような教授というものが、情けなさすぎるわけであって「人物」でないところにダメなところがある。
吉川英治は小学校である尋常高等小学校中退。人物っていうのはそこら辺の大学の薄っぺらい先生とは違うということですね。