姑息
ここへきてコロナが急増している。急増したらブレーキを踏んで、またあくせるふむしかやりようがない。
しかし、
東京都知事の会見では39人が重症化で大丈夫。そして五つの小都会っちゃってまたつまらんボウード遊び。小学校の先生になったらいかがかな。
この重症化は姑息の窮み、ここまで姑息は耐えられない。実際の国の調査の仕方から言えば196人とか、HPには載ってるようだが、実際庶民には39人と伝わる。
どうせオリンピックのバッハが来たんで姑息によくやる国と都がやってんでしょうが。
だけど一番は世論の声ではなくて庶民の行動が大切であって、「少なく発表すれば気持ちも緩む」「多く言えば厳しく引き締めようとする」わけで全く馬鹿な政治というしかない。
栄枯盛衰というのがあるがわかりやすい言葉で書けば「創業」から「守制」で継続しているが、成熟してくると守りが多くなって「姑息」が出てくるこれが見えだしてくると「破滅だ」
今公文書の改ざんやら隠したりシュレッターかけてみたり、国会の答弁でその場だけ過ぎるためうそをついたり、公をしにしたり、首相を選ぶのも私利私欲。「姑息」のオンパレード。
小泉政権から始まった日本の精神を壊す政治が「格差」「自己責任」「勝ち組負け組」みんな姑息な強いものについていれば安心という姑息な考え方で威風堂々というような姿は全くない日本を作ってきた。安部がそれに上塗りをして今菅が「自助・共助・公助」と言って自己責任の集大成をやる。国民庶民に責任転嫁して政治は無責任などちらともつかないことを何気ない顔してやっている。
官僚の二十代が大幅にやめる。そしてやめたい人が大幅に出てきてる。これって「破滅」に向かっているわけで。気が付かないリーダーたちのバカさ加減にあきれる。
日本の庶民は江戸が終わるころ江戸が西郷さんたち官軍に燃やされてしまうかもしれないといったとき花見の話が盛んにされて容器にやっていたっていう。そう行きましょうか。