できないものは何やってもできない
人間とは?
こういうことを考えない時代であって、何が人間の生き方であるとか志は何かやりがいとは何かとか考えない時代。
明治のヨーロッパに追い付け追い越せの時代。素晴らしい会社や工場を作って日本を富国強兵にするという国家観。そのためにはいい大学を作ってそこを目指すそのためにはいい高校を作ってそのためにはいい中学をそして小学校をと必死にいい会鞘を作るためということでやった時代。
それにちょっと似てるが、やり方は一緒の今の時代。「いい就職ができれば安泰だから}これが今の教育の中心になって、いい生活は=お金になった。
教育なんてものは究極に追い込まれたときに困窮しないというのが目的であって資格を取るものだとかいい就職口につくとかそんなはしたないものではない。だから今の政府や議員や政財界というようなものは、そのレベルでやってるから「コロナで国民がひっ迫してしまったときに何もできない」情けない。というよりも恥知らず=教育がなってなかった。
教育の知識というものは経験を積んで鍛え上げられて「見識」となるそれがあって「省」というものが理解でき国民に大切ができるわけであって「省」という意味自体も分かっていない。自分のことばかりになってるものには見識なんてあろうはずがない。 そしてもっと学んでいくと「胆識」ができしっかりした判断が腹(心)から決断できる。これができる人間がいない本知事だの本何とかという評論家がテレビで世論操作をする。するとテレビでこう言ってたよってなってその応援団のおかげで世論操作に成功してながい腐った政権が続き。そのんな中で金金の亡者がお友達政権とか言って設けまくるのが日本。兎に角「恥」がわからなくなった国はだめ。評論家やわけのわからんものがでしゃばるっていうことはいつの時代もあるが必ず失敗してる。
人間とは
一番大事にしなければいけないのが、「徳」である。ある意味これを達成すれば人間として自己達成したといえる。 社長になったとか首相になったとか成木になっただとかいうようなものはたまたまその職にあるというだけであって「椅子」で会いかな食う人間として自己達成したわけでもないしそう威張るものでもない。
「徳は優しさや奉仕や愛や敬や清潔、熱心とか正直とか」こういったものであってこういった善を積む「積善」というのが人間にとって一番大切なことであって金ではない。権力ではない。こう言った学問をやってこなかった人間は自得や省についてがわからない。
二番目に大切なのは知識技術。これは人生やってるものはわかるだろうが、あればあるほど自分の利や得になるっていうことでなくたって立派な人間はいっくらでもいますね。
これがわかって志をもって意思を問うしていかなければ何をやっても失敗して仕事のできない人間になってしまう。