一緒にいても和せずが今の日本
「和して同せず、同じて和せず」って言葉がある。
「和」って言うのは平和という意味もあるが、中和といった喜怒哀楽までのことを言いますね。
和むとか穏やかに親しむような意味合いが強い。
「令」って言うのはどちらかというと冷たく人間の「温」との反対になる意味合いが強い。
日本古来から母親の慈悲は観音様の慈悲であり子供が悪いことをしても、「お前は必ず更正してよくなる」って言う心を持って接する。
だから「温」はサンズイが水で右上の日は囚であって悪いことをした人、そして下の皿はご飯。
必ず良い子に育って欲しい徳と慈悲を持って水とご飯を用意して「なんでそんなことをしてしまったの?」って子供目線で聞く。温(たずね)る。
「令」りんとしてきりっとした響きがあるが命令とか指令とか上から指示を出すイメージが強い。
今子供の虐待や躾の麺で非常に大きな問題が家庭に起きているが、親父があるいは母親が子供に躾ということできつく命令ちょうでやってみたり多くなっているんじゃないか。
これを聞かなければ慈悲どころか虐待にまでなっていく。非常にいやな言葉になってますね。
国家が国民に対して令を下す。それに従っていれば平和に暮らせますってな言葉になってしまう。
政府が今までやってきた隠蔽やら国会での嘘発言そして改ざんやら偽りだらけの書類や国会での混乱を見るととても信用が置けない疑ってみますね。
だから万葉集といってみても、とても信用置けないってことになってしまいますね。
なんといっても国民には中々施策やら伝えたいことも、伝わらないもの。それは損得勘定や近視眼的にものを見ますからしょうがないことなんですね。
だから信頼が必要なんですね。信頼があれば「あの人がおっしゃってるんだからいいんじゃないのかな」ってなる。
でも今は「えぇなんで?」ってな調子で捉えられている。