「恥」と「敬」
子供がお父さんの靴をはいたり帽子をかぶったりする孝道はかわいいもnですね
これは父親に対して「敬」を思っている行動。
チッチャいころから人間は「敬」を持っている。
それが今の年寄りや大人を見ると全くなくなって、どうしちゃったんだ。
韓国で空港で暴力を起こした官僚、それも役職が高いものが飛んだ「恥」をしたもんだ。
昨日は東南アジアのどこか忘れたが日本人が運転手を襲って殺した。とんだ「恥」
明治のころまでは江戸時代の徳や道が強くあって、和歌山の沖に遭難したトルコの船を助けたりしっかり日本人であった。
これが日露や日清の戦争に大きく要因していて強い日本であったわけだ。
「敬」というものは私淑する人、尊敬する人を持つことであって、その人がやってきたものに行動に対して自分の物足りなさを嘆く。これが「恥」ですね。
国会の政治家の態度ややり取りやら振りやらセクハラ、パワハラ、ばかばかしいニュースが多くて、自分らの小さいころは「末は大臣」といったもんだ。
今そんなことをいう子は以内でしょうね、小泉とか世襲の人間を除いて。ところが大臣になりたくてなりたくて、自分の考えを変えて主張してきたhpを消してまで外務大臣をやってるものもいる。
統括してる部下度もが改ざんしたり、自殺者まで出てもまだ大臣をやり続けるものや、竹中や賭けなんかに利用されて恥ずかしさも何もない首相がいたり。官僚の不祥事を管理できないでいるものが数多すぎて
これが全て「日本の恥」であって責任を取らんから、信頼もない「尊敬とか私淑」する政府にならないわけだ。
「敬」することに「恥が生まれ」それが自得を得て、向上する。自身の反省があるヵら成長する。
恥を感じない人間は「反省がなく」他人の責任にして、あるいはもっと悪い人間を大臣して自分の追及を逃れてみたり、兎に角反省がないがために国力を落とし国際関係にまで信頼を失って日本の衰退になってる。
幕末に橋本佐内という若者が「伝志録」というものを16歳で書いている。
この人は「恥」を感じて常に泣いたといわれ、「童心を持て、稚心を捨てろ」といった人ですね。
がきがたと食べてる菓子が欲しいと泣くように(稚心)、苦笑が今度は俺かなとか大臣が回ってこねぇとかいってやってる(稚心)こんなのばっか、
レオパレスにしても日産にしても企業の犯罪が兎に角多い。政治の脇の甘さが出てるんですね。
こういったことが、「恥」として分かっていない人間がトップになっていたり重役をやってる不幸。
全てが「敬」がないから全ておきている。日本に蔓延している。家康が見たら本当に嘆くでしょうね。