大臣・重臣は国を左右する重職である」絶対なる任命がいる
江戸幕府の重臣を教育した佐藤一斉先生は言志四録が有名ですが、重臣の教育とかやるべき姿を書いている。
当たり前のことであるが歴史的に言っても「大臣」の大切さは国を左右する。
トップに立ってる為政者は独裁であれ民主主義であれ、この重臣・大臣の登用が最大の国つくりであって、それ以外にない。
今起こってる改ざん事件や不正資料の数々、各省のずさんな姿が洗い出されているわけだが
「なぜ?」改めようとしないのか?できないのである。倒れたものが立てない上体になっているってこと。
これは滅び行く国でなく、再生不能の国になったからですね。
不祥事が起きても任命責任はとらない。もっといかんのは自分が三選するためにはその協力者のみの関係の派閥から待機大臣を任命する。とても「任命・登用」というもんではないが、
「孝経」にあるように人間の社会、仕事、遊び、全てが「つながり」の中にあって、切手はいけないものであるが
戦後の復興時期に田舎から工場や都会に集団就職など歌謡曲にも歌詞を作りこんで呼び出して団地や会社の寮や社宅を用意して、「家」から「個人」に
この時代が断絶の時代で切れて切れてしまった時代。これが今墓なんかお守りが出来ないというとんでもないことを平気で言う時代になってしまった。
先祖を切ってしまうということは人間の存在を否定することであって、自分個人を否定してしまっている。
人間は1人では生きられないつながって生きるのが正しいわけで、「敬・愛」というものが生まれる原点であるわけだ。
中江藤樹先生や西郷南洲先生が言う「敬・愛」が非常に大切になってきてることを学ばないといけない時代になってきました。「敬」が起きると自分に「恥」がわいてきます。
この恥は責任や意思の誠を作って正そうとします。これが大臣に全く感じられないから国がめちゃくちゃになってしまったわけで小泉政権移行特に心しなければいけない。
麻生が追及されないようにもっと問題があるようなサツキやさくらだなんかを大臣にして追及を逃れようなんて子供じみたつぶれた国の小手先の猫だましだね。
これじゃ近隣や他国から馬鹿にされるのは当たり前。