ご多幸を祈る、お多福に勤める
「しあわせ」って言う字は「幸」と「福」があるが
今の時代には「幸」が多いようですね。
この幸は他人から頂く幸せを言うわけで「ラッキー」とか「タナボタ」なんてことをさすようですね。
宝くじが当たるとか他人あら幸せを貰う。そりゃ結構なことですが。
だから年賀状には「ご多幸を祈っております」って書くわけです。が自分は一度だけ「お多福」を祈りますとやってしまったことがある。
これは考えてみれば大変失礼な年賀状になってしまいました。
「福」は示す偏に右側が俵や食べ物を積んでいる文字になっているように収穫したものを自然や皆さんに感謝する意味で神に献上してる形になっています。
つまり、農家で言えば春種をまいて日照りや水不足や風や無視や鳥や野獣の災害から守り続けて作り上げた作物を感謝して参ずる意味になっています。
人間で言えばこつこつと自分自身が努力して少しずつ積み上げたものが身になってきた状態でしょうか
「野」、「従」、「通」、「物」、「来」、、、、、、、という人間修行がありますが、その「通」とか「物」になったとか言うところなんでしょうかね。
「幸福」という文字には幸せということについても福という字についても哲学があって、人間学になっているもんですね
日本が沈没してしまった今は、他人から貰いたいばっかりだったり自分だけよければいいとかこのチッチャ幸せで結構自分たちが食っていければそれでいいのというようなしゃかいですね。
これは経済経済という「かねかねかね、、」ばかりの時代でカネでしか幸せを計れなくなってしまった「機械の部品化となった人間が増えすぎてしまった」ようですね。
「福」には、感謝の気持ちやこつこつ積み上げる向上心など「こころ」が入っていてこれがあって初めて人から「幸」がくるもの。
いつの時代も、貴賎であれ貧賤であれそれなりの生活を行い「心を磨き」そして「自得」してこそ個人の尊厳と自分の自由が確立する者ですが。