人間修養が大事

 In 頑固親父ブログ

「奴は人間ができていない」とか「まだ物になっていない」とか「出来るやつだ」などと人間を評価する。

「天の命を性という。性を率いるを道という。道を修める物を教という」中庸

この収めるものが修養ですが人生毎日が学ぶことで先賢に学び歴史に学び

また謙虚に下って学ぶこういった日々三省すというように自得しなければ成長や自身の修養は無いわけでその修養とは

一年にして野(や)  最初は和歌tら無いどう行くのか右か左か何がなんだか分からないから野である。

二年にして従(じゅう)  こなれてくる。かすかに道が見えてきて振返ることや命令や支持に反応してくるから従だ。

三年にして通(つう)。  あんたそば通だねとかいう通。次第に行き詰まらなくなって、とうしで出来るようになる。通なんてのはまだまだだ。

四年目にして物(もの)  物は方に通ずる。見るものも形になってきて決まりだす。使えるようになってくる。物になったなというやつだ。

五年目にして来(らい)   新たにインスピレーション、霊感が出てくる。人が尋ねてきたりsるように人間が出来てきて、出来るやつってことになる。

六年目にして鬼入(にゅう) 鬼は神秘的という意味で これまでに無い神秘的なものが出てくる。

七年目にして天性(てんせい)  人間の臭みや癖などが抜けて自然体になって自然に溶け込んでくる。ここまでくるとちょっとわかんないが。

八年目にして死を知らず生を知らず  孔子が死についてたづねられたら今だ生を知らずといったとか、生と死を超越してくるということ。

九年目にして大妙(たいみょう)  妙って妙心寺で修行されたお坊さんに尋ねたらなんともいえぬ自然の姿とおっしゃった。妙は真に通じると。

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